皆さん、はじめまして。

セプテンバーミュージックスクール、ピアノコース講師の山﨑陽子(やまざき ようこ)です。

この度、ご縁をいただきまして、こちらセプテンバーミュージックスクールでピアノ講師を務めさせていただく事となりました。

代表の細川玄先生とは「afrontier」というイベントを通して出逢い、素晴らしいミュージシャンの先輩としてはもちろん、誠実であたたかいお人柄を尊敬し、長くお付き合いをさせていただいております。

 

私がこれまで歩んできた音楽人生

今回は、私がこれまで歩んできた音楽人生を少しだけお伝えさせていただきます。

私は普段、「Laranja」というソロプロジェクトを主軸に音楽活動をしております。

ポルトガル語でオレンジという意味で「ラランジャ」と読みます。

どうしてこの名前をつけたかと言いますと、自分の音楽を、自分の世界を創っていこうと思い始めた20代前半の頃。

ブラジル音楽をベースにやってゆきたい、けれども、決してそのままの真似事をやりたいわけではなく、あくまでも独自な世界を表現して行きたい、と思っていました。

目を閉じて感じた色のイメージはオレンジ、オレンジをポルトガル語にしてみると「ラランジャ」。発音の響きもとても気に入りました。名は体をあらわすと言われるように、ネーミングはとても大切です。まさにイメージと合致し、表現したいのはこれだ!と強く思いました(笑)。

そして、このLaranja活動をライフワークとして一生続けてゆこうとこの時、決めたのです。

そして私の音楽人生で、多大なる影響を受けたブラジル音楽との出逢い。そこに辿り着くまでにはいくつかのステップがありました。

 

私のピアノの原体験

私は祖母、母、姉(父も少し)がピアノを弾く中で育ちました。

祖母は95歳で亡くなる直前まで、いつも楽しそうにピアノを弾いていました。いつまでも可愛らしくて遊び心があり、美しく楽しい人。私はそんな祖母が大好きで、祖母の中にある少女性と、人生を長く歩んで来た重みをふくむ音に、いつも心を躍らせていました。

これが私のピアノの原体験になっています。

私も、祖母のように、いくつになってもピアノを弾き続けていたいと思っています。

勿論、少しずつ指は回らなくなり、速い曲も弾けなくなるでしょう。でもきっと、音楽性は豊かになっているはずです。

音に、人と人生が出ます。

その時にしか出せない、その時だからこそ出せる音を奏でられたら幸せなんだろうなと、思っています。

 

クリエイティビティ

幼少期には、先にピアノを習い始めていた姉の練習に参加したり(邪魔とも言います)、遊びながらピアノに慣れ親しんでいましたが、4歳になったと同時に、私も自然の流れでピアノを習い始めることになります。

しかし、レッスンを受けるよりも、曲やミュージカル調の劇を創って、近所の友達、家族親戚に披露するのがとても好きでありました。

皆が笑ってくれる!楽しんでくれる!喜んでくれる! と思ってしまった??(笑)のです。

初めて作詞作曲した曲は4歳の頃の「山の麓のカタツムリ」。歌って踊って皆に大笑いされて、嬉しかったのを覚えています。

未だに親戚に言われることがありますが、この体験が今の自分の活動(Laranja)にも繋がっているんだろうなと思います。

 

音楽と自分と向き合いはじめる

中学生、高校生になると、放課後にロックやポップスのコンサートに行くようになり、ブリティッシュロックなどを聴くようになります。 そして、いつからかロックピアニストになりたい、と思うようになりました。 Velvet Undergroundのジョン・ケイルのように、クールで知的でガッツのあるタイプに惹かれていました。反して、様々なバンドでサポートをしたり、仕事人としての技量を持つスタジオミュージシャンにも憧れを抱くようになります。

音楽の道へ進むのは、当たり前のように幼稚園の頃からの夢でした。

しかし、クラシックの音大へ進むのか、それともポピュラー科のある専門学校へ進むのか、高校2年生の秋まで、とても迷いました(当時はジャズ科やポピュラー科のある音大がありませんでした。あればいいのにといつも思っていたので、今の方々が羨ましいです)。

音大へ進んだ姉の影響もあり、大学の夏期講習へは高校1年生から通っておりました。

ピアノのレッスンは非常に細部にわたり厳しいものでしたが、技術を磨く事に非常にやりがいと情熱を感じていました。

 

多感で不安定、でも夢多き年頃、可能性は無限大、ゆえに悩む日々。

その時、あるプロミュージシャンの方と出逢います。その方に悩みを相談したところ、「とにかく今はまず音大でテクニックを磨いて、その後でどちらに進むかを決めた方が良い」と助言をいただきました。

その言葉は、当時の私にはとても心に響き、しっくりとくるものでありました。

その結果、音大の短大に進み、2年間じっくりクラシックに取り組もうと、心が決まったのです。

 

さて、そこからが本当に大変な道でした。

この時期が、本当の意味での私の音楽人生が始まった時だと思っています。

それまで、のほほんと、ろくに練習もせず来てしまった私。ピアノの先生からは、陽子ちゃんは厳しい先生じゃないとやらないから、と言われるほど。

クラシックで音大を目指すには、それまでの歩みも、覚悟をする時期も他の方と比べ、遅かったのです。

ここから、私の修行道が始まってゆくのです。

(つづく)

 

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山﨑陽子先生の素敵なライブの動画です

Cai Dentro〜Hi Dear