こんにちは。

セプテンバーミュージックスクール代表の細川です。

 

前回までの

音楽でプロになる、仕事を得る、成功する。どうやって? その1

音楽でプロになる、仕事を得る、成功する。どうやって? その2

音楽でプロになる、仕事を得る、成功する。どうやって? その3

はもうお読みいただけましたでしょうか?

 

前回までのお話しの中で、作曲家でDJのWさんとの出会いと、彼がオーガナイズするクラブイベントでの出来事は私にとってとても大きな気づきを与えてくれました。

一方、同時期に私がやっていた活動はひとつの終わりを迎えていました。

 

最後のポップスプロデュース活動と覚悟した

作曲家でDJのWさんとの出会いと、彼がオーガナイズするクラブイベントでの出来事は私にとってとても大きな気づきを与えてくれました。

一方、同時期に私がやっていた活動はひとつの終わりを迎えていました。

私が女性ボーカルグループのプロデュースをしていたことで、上海での女性歌手のCDへの楽曲提供が決まったり、活動は思わぬ方向にも広がってゆきました。

しかし日本国内では結果が出たとは言い難く、鳴かず飛ばずの活動が続き、自分自身も出口の見えない負のスパイラルに迷い込んだような毎日が続いていました。

そこにこれまでのバンド活動を通してFくんという、人気男性声優とタッグを組むことになりました。

ポップスのプロデュース活動はこれが最後だ、と腹を括りプロデュースをしたのがこのお話です。

 

声優ブームの中、その潮流に乗っかることになった

当時、声優ブームという時代のど真ん中、私の活動はどういう訳かそういった方との出会いがあり、メジャーデビューに向けて活動を目指すことになりました。

声優ブームは、およそ1996年前後に頂点を迎えました。

もともとオタクカルチャーだった文化が市民権を得た一つのエポックメイキングだったと思います。

この後、秋葉原を中心とした今に至るアイドルが続々と登場することになります。

F君は歌手を志望しており、私がプロデュースしていた女性ポップスユニットの楽曲をとても気に入ってくれていました。

そういう縁で、仲良くなり、ライブを一緒に対バンを組んで出演したり、その後メンバーたちと夜中まで打ち上げで飲んで、いろいろなことを語らいました。

 

彼は、いまでいうUKソウルのような曲を好んでいました。

私のバンドのサウンドのような曲を歌いたいと言っていました。

私のグループは特にUKソウルを意識していたわけではなく、ジャズの視点でポップスを創っていくなかで自然とそれに近いサウンドの曲を沢山書いていました。

 

彼とユニットを組み、曲作りに励みます。私が作曲と編曲、アレンジを担当し、彼が作詞とヴォーカルを担当しました。バンドメンバーは全て私が揃えました。

彼は当時キー局文化放送ラジオのゴールデンタイムに帯で番組のパーソナリティをしていたほどの売れっ子声優でした。

オンエアが終わるとほぼほぼ毎日、私の自宅に来て打ち合わせをするような日々でした。

目標はこのグループでのメジャーデビューです。

 

プレゼンライブにはレコードメーカー19社もライブ会場に来た

ライブが出来るほどの曲も書き揃え、ライブ用のバンドも組み、私はホーンセクションの一人としてステージに立ちました。ホーンアレンジももちろん私です。

芸能プロダクション関連の方々も興味を持っていてくださったようでしたので、ライブはプレゼンテーションライブとし、業界関係者、特にレコードレーベル、メーカーの方を中心に招待をし、全部で19社が見守るプレゼンテーションライブとなりました。

19社。かつてこれほどの注目を集めたプロジェクトに身を置いたことはありませんでした。

 

そして、プレゼンライブは満員の中、終わりました。

その夜は皆、いい演奏をしたと思います。

 

しかし、、

 

いずれのレコードレーベル、メーカーとの契約を結ぶことは叶いませんでした。

 

 

プロデュースする、特に自分がポップスをプロデュースするには、圧倒的に足りないものがある。

そう感じました。

敗因の一つには、自分の一番の強みである「ジャズ」を存分に発揮できなかった事もあったと思いました。

また、私自身も「夢に夢見ていた」部分もあった事、これは後になって気付きました。

夢に夢見ることは悪い事ではないと思っていますが、やはり「諸刃の剣」では通用しなかったという事だったと思います。

いわばアーティストとして「隙」だらけのステージ。

多くのプロダクション、レーベル、メーカーのプロフェッショナルはそこを見抜いていたんです。

 

 

せっかくメーカー19社が来てくださったにも関わらず契約に至らなかったという事は、大きな敗北感と挫折を味わいました。

 

本当に悔しくて、自分がもう次に向かう先を失った気分でした。

 

 

自分の心の音楽と正直に向かいあう根本的な大切さを知った

この時の経験が今につながる沢山の気づきを与えてくれました。

 

「僕は僕自身に正直に作品を創ってきただろうか?」

「僕は誰かに、何かの作品に成りたがっていたものを創っていたのではないか?」

 

自分が音楽と向き合う理由、作曲をする理由、トランペットを吹く理由。。

その全てがいつの間にか、ブレていた事に気付きました。

 

自分自身をさらけ出して勝負する覚悟も中途半端なまま、結果だけを追い求めてしまった。

音楽の神はそんなものは評価しない。

 

という事を悟りました。

 

 

この時私は「もう、表に立つことはない」と思っていました。

また、それでもいいと思うようになりました。

 

相変わらずカラオケ制作の仕事などは休みがないほど忙しく、ただただ職業として音楽制作をこなす自分がいました。

喰う、という事だけを考えれば仕事は順風満帆です。

お金も充分に入ってきていました。

しかし、何一つ自分自身の「心の飢えと渇き」は満たされなかったのです。

 

18歳、東京で一人暮らしを始めたときのまま、今日まで何一つ心は満たされないままだったのです。

 

自問自答の答え、嘘のない本当の自分の音楽を創ること

自問自答は、心の奥深くの自分の声を訊くことで、少しづつこの迷宮からの出口を探してゆくことになりました。

 

「自分自身の音楽をやったのか?」

「初志は貫徹できたのか?」

「作品は世に残せたのか?」

「このまま終わらせていいのか?」

 

「細川玄は何者なんだ?」と問われて、胸を張って答えられる自分になっているのか?

 

というクエスチョンがずっと付きまといました。1998年頃。30歳頃の事でした。

 

 

失意の日々でしたが、不思議なことに創作意欲は無くなりませんでした。

 

「自分自身が納得できるソロアルバムを創ろう」

終わるなら、これをやってからでないと終わらせられない。と。

 

1999年のある日、確か秋頃だったような気がします。

どこにでも売っている大学ノートを一冊購入しました。

 

ソロアルバム制作に向けて動きだした

細かく自身がやりたい事、やり残したと思っている事、興味がある事、などすべてを書き出して行きました。

そう、細川玄、自分自身のアルバムのコンセプトを創るためです。

 

興味ある人もピックアップしました。どういった形で作品に参加してもらうのが良いか、常に考察をしていました。

そしてこれまでレコーディングに使っていたレコーダーはVS-880というハードディスクレコーダでしたが、生楽器のレコーディングを多く行う事が想定されたためDAWを投入しました。

Pro Tools 5.0です。

今では音楽業界では共通言語のように使用されているDAWソフトウェアです。

Ver 5.0では、まだステレオトラックが無い時代でした。

ステレオで収録するにはトラックを2つ立ち上げる方法しかありませんでした。

(レコーディングが終わりミックスの段階になると実はモノラル2トラックの方が利便性が良いのですがね)

 

自分自身の声を聞くことでメロディーが降ってきた

曲は沸き立つようにどんどん書くことが出来ました。

「ジャズ」という強みが発揮できなかったことを胸に噛みしめて、ジャズを前面に、もうこれでもか、というくらいにジャズである事を出しました。

 

そして強みを発揮出来なかった制作活動で大きな挫折を味わった事、Wさんとの出会いと一緒に活動するなかで得られた、自分が本当に創りたい音楽。

ふたつがここで、あらたな強さとなって、新しい音楽制作に向かわせてくれたんだと思います。

そして奥深く自分の内面に耳を澄まし、自分の心の声を聞きました。

巷のトレンド、そんなものは一切気にすることもありませんでした。

 

作曲には心を満たしてくれるサウンドが必要だった

これから作りたい作品に、どうしても必要なサウンドがありました。

それはフェンダーローズピアノです。

70年代のアメリカンポップスで沢山使用された、独特の優しい響きを持った唯一無二のエレクトリックピアノ。日本ではこの直後にR&Bブームが起こり、中古楽器の相場は急騰しました。

 

ちなみに、デジタルピアノとエレクトリックピアノは別物です。念のためちょっとだけ説明入れておきます。

現在巷に多くあるのはデジタルピアノ。音自体サンプリングされた電子音の楽器。生楽器ではありません。

エレクトリックピアノは発音はピアノと同じ打鍵式。鍵盤を押すとハンマーが立ち上がり、ピアノ線の代わりに鉄琴のような形の共鳴板を鳴らします。

これをピックアップマイクで拾ってアンプで増幅させる。それがエレクトリックピアノ。

本物の生の楽器とご認識くださいませ。

 

このピアノ、私はかねてから「作曲の神様が住んでいるのでは?」と思っているのです。(笑)

もちろん、誰も住んではいません。

私がここで言いたかったことは、作曲には「閃きを導くためのサウンドが必要」という事です。

 

私は長年、デジタルピアノを使用してきましたが、

正直、私、デジタルピアノの音は好きになれませんでした。

好きになれない音を使用すると、音はただの「情報」にしかならなかったのです。

極端な言い方をすれば今までは、情報だけを扱って作曲をしていた。

という事にこの楽器との出会いによって気づかされたのです。

情報だけでの作曲では、人の心を打つ作品、もっというと「曲そのものに力のある作品」など作れるはずはないのです。

 

今でも私の作曲はこのローズピアノを弾きながら創っています。

皆さんが知っている私の作曲作品はすべてこのローズピアノを弾いて創ったものなんです。

 

そしてとうとう、レコーディングが始まりました。

CDを全国に流通させるために、自分自身のレーベル「セプテンバーレコード」も設立しました。

 

いよいよ正真正銘「細川玄」の作品作りが始まりました。

 

 

続きは次回のブログで。

 

 

P.S. フェンダーローズピアノとは

1940年代にハロルド・ローズさんが発明したエレクトリックピアノです。

最前線の兵士への慰問演奏をする際に運搬が楽なピアノを作りたかったことがこの楽器の起源のようです。

いわゆる「ピアノ」の音とはだいぶかけ離れていてピアノの代用としては人気が出なかったがようですが、

70年代に空前のアメリカンポップブームの中、このピアノを使った曲からバンバン大ヒットが生まれたことでその後大変人気のある楽器となりました。

この楽器のサウンドが大ヒットの要因になったであろう代表的な曲を2曲ご紹介します。

いずれも細川が大好きな曲です。

 

写真は細川所有のローズピアノの写真。Fender Rhodes Mark-2 suits case.