55歳で脱サラからのプロピアニストへ至った経緯と想い その2

皆さん、こんにちは
東京都豊島区池袋東口徒歩1分
セプテンバーミュージックスクール
池袋の大人のピアノ・ジャズピアノコース
ピアノ講師 山口コージです
今回は55歳で脱サラからのプロピアニストへ至った経緯をと想い その2です
前回のブログで
55歳での退職を考えたきっかけとして
長い会社勤めの中で以下のとおり
色々なことが起こったことをお話しました
・健康上の理由(うつになった辛い経験)
・残りの人生は長くないと気付かされたこと(父の死が影響)
・幸運にも社外の人間関係が築けていたこと
今回はうつ病になった辛い経験をお話します。
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うつ病になった経緯
うつになった原因は
職場の人間関係でした。
具体的な経緯をお話ししましょう
時は2006年
私は課長代理からライン課長に昇進しました
当時は38歳(入社16年目)でしたので
出世は順調な方と言ってもよいでしょう
同時に当時の直接の上司も部長に昇進しました
上司と部下という関係性は同じですが
今までの課長と課長代理というポジションが
部長と課長というポジションに変わったんですね
これがこれまでの関係性から大きな変化をもたらします
お互い初めての職責にいち早く慣れようと意気込みますが
これがおかしな方向性に向かいます
新しく部長になった上司は部下達の業務遂行能力を無視し
無理難題を次々に列挙しそれに固執するようになります
部下達に業務目標・計画案を命じますが
部下の案に難癖をつけては差し戻しを繰り返し
勿体振って結論を出しません
私も上司の期待に応えようと必死になります
ところが上司のこういう仕事のやり方のせいで
業務が堆積するばかりで中々進めることができません
深夜残業も常態化し
精神的にも徐々に追い込まれていきます
さらに悪いことに
物事が中々進まないことに
上司は次第に苛立つようになります
そして部下への物言いも
感情的で人を傷付ける言い方に変化し
やがて常態化してしまいます
「お前なんか会社辞めちまえ」
「代わりは幾らだって居るんだぞ」
「結果が伴わなければ即刻退職願を書け」
「そんなに長い休暇を取りたいのか」とといった罵声を
会議中や職場を問わず
私の部下の面前で
私は上司からこのような言葉を
何時間も浴び続けるようになったのです
これらのパワー・ハラスメントで
精神と体調が完全におかしくなりました
・不眠
・吐き気
・食欲不振
・全身がバリバリに凝った状態
・目眩
・幻覚
・生きる希望の喪失
冗談ではなく
いつ自殺を図ってもおかしくない状況に陥りました
うつの治療
私の様子が明らかにおかしくなっていったのですから
家内も黙っているわけにいかなくなりました
「病院に行った方が良いんじゃないの」
そして2007年8月
半ば家内に強制されて大学病院の心療内科を受診しました
その結果「うつ」と診断され
休職に追い込まれることとなったのです
原因は明らかで
当時の上司のパワー・ハラスメントです
それから3ヶ月間を自宅療養に努めました
「うつ」を治すための薬を服用し
圧力や焦りを感じない生活を送ります
漸く不眠や吐き気等の症状が後退したころ
職場復帰を果たしました
それでも最初は職場をほぼ往復するだけ
それから徐々に圧をかけて軽減業務から始めます
ところが軽減業務だけでも時折
不眠や吐き気といったうつ特有の症状が顔を覗かせます
その度に休暇を取らざるを得ない日々
休暇を取っては体調回復に努め・・・
このようなサイクルを繰り返して
徐々に休職前に手掛けていたレベル仕事ができるようになり
休職から4年後にラインの管理職に復帰できました
失った歳月は4年
支払った代償は大きかったです
仕事に復帰しても・・・

(2025年日比谷Festival出演時)
ところがラインの管理職に復帰したといったも
仕事上のプレッシャーが強大にかかった時
月曜日の朝など
私を苦しめた吐き気の症状が顔を覗かせます
これ以上仕事上のことで追い込むと
うつを再発させてしまうかもしれない
その恐怖感で
仕事をギリギリまで追い込めなくなってしまいました
力加減では80%程度で止めざるを得ない感じ
怪我したら100%元には戻らないのと一緒でした
うつの再発危機も3度ありました
2012年
2016〜2017年
2021年
2012年と2021年は当時の上司
2016〜2017年は当時の女性部下たち
全部職場の人間関係が原因でした
これらの時は長期に取得できる休暇
在宅勤務制度
という救いの手があり
これらを上手く利用してうつの再発を逃れました
こうしてサラリーマン人生の後半は
職場の人間関係を上手く構築できずに
苦しめられることになったのです
こんな状況でしたから
ライン管理職といっても
会社は重要なハイレベルの仕事を
私に任すようなことをしません
半ば出世街道から外れ
社内で決して花形とはいえない部門や業務に
従事するようになりました
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決定的な事態の訪れ
こんな状況でしたから
ライン管理職といっても
会社は重要なハイレベルの仕事を
私に任すようなことをしません
半ば出世街道から外れ
社内で決して花形とはいえない部門や業務に
従事するようになりました
そんな中で2020年に決定的な事態が訪れます
2007年に私をうつ病に追い込んだ時の上司が
社長に昇格する人事が発表されました
役職定年より3年前の出来事です
この人事を聞いた瞬間
当時勤めていた職場は人を大切にしない職場なんだなと
悟ってしまいました
部下をどんなに傷つけても
職場でハラスメントという問題を起こした人物でも
上に屁媚びつらっていれば偉くなれちゃう会社なんですから
脱サラを決意
こうしてサラリーマン人生後半は
ライン管理職として仕事をする中で
職場の人間関係に散々苦しめられ
失望さえ感じた半生になりました
一方で苦しいサラリーマン人生になった状況でも
ピアノを辞める選択肢は採りませんでした
それだけピアノが好きで
ピアノを弾くことが
生きる唯一の希望に映ったのだと思います
辛い状況の時
ピアノを弾く時間は流石に激減しました
しかしながら病状の好転につれ
ピアノを弾く時間も増え
2014年頃からセッション通いも再開するようになります
そして2018年頃から徐々にセッション・ホストなど
音楽の仕事も入り始め
副業になっていきます
ピアノを続けたことが人生の救いになったのです
こうして失望さえ感じたサラリーマンを辞して
音楽で残りの人生に勝負をかけようという思いが生まれたのです
そして55歳となり
役職定年を迎えたところで
脱サラを決意しました
最後に
もし今あなたがお辛い気持ちがあり
新しい事と繋がりたい
それがピアノならば
セプテンバーミュージックスクールで
私とピアノを一から始めてみませんか?
初心者も経験者も
そしてジャズを弾きたい方も
大歓迎です
自分に苦しみ抜いた経験があるからこそ
あなたの苦しみに寄り添い
あなたに必要な心から喜びを感じられる
レッスンを提供できると信じているのです
あなたからのご連絡を心よりお待ちしています。
セプテンバーミュージックスクール池袋本校
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