セプテンバーミュージックスクール代表の細川です。
トランペットのアンブシュア崩壊した私 そして再起までの軌跡その1
はもう読んでいただけましたでしょうか?
前回は私のトランペットとアンブシュアが崩壊するまでのヒストリーを記しました。
今回からアンブシュアを治すために行ってきた道筋について書いてゆきたいと思います。
そこには「ある重要な2つの事」を教えていただいた恩師との出会いがありました。
セプテンバーミュージックスクール「アンブシュア矯正コース」はこちらをご覧ください。
アンブシュアを治す、改造する、と決意した。
28歳頃の話です。
ジャズアルトサックス、クラリネット奏者Uさんとの出会いがあり、私は彼のバンドに誘われ、新宿ピットインなどに出演をするようになりました。バンドは大所帯、当初メンバー総数はざっと20人くらいいたのでしょうか?
もちろん全員プロミュージシャンです。
圧倒的なサウンドの良さとリズムの切れの良さ。
これはアマチュア活動中には経験出来なかったプロの音でした。
前回ブログでも前述した通り、TVCMの制作現場で音楽制作を勉強していましたので、毎日毎日レコーディングスタジオに行ってプロが演奏するサウンドは知っているつもりでした。
しかしバンドの中に自身が入り、演奏を始めると圧倒的に足りないものが見えてきたのです。
ある程度はトランペットを吹けていました。
しかしそれは、やはりとても弱い、定まらないアンブシュアの上での「ある程度」なのです。
これでは今後、彼らとはとても互角に演奏が出来る状態にない、ということを悟りました。
遠くないうちに演奏から身を引く決意をしなければならない日がくるのではないか。。。と考えるようになりました。
しかしそれはなんとしても避けたい、と。
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トランペットのアンブシュア崩壊した私そして再起までの軌跡最終回
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T先生との出会い「舌」と「息」の重要さを教えていただいた
29歳の時です。
そんな思いを抱えながら、練習をしているときにトランペットのレッスンをどなたかの先生に受けてみよう、と考えるようになりました。
どんな先生が適任かもわかりませんし、インターネットも世の中では出始めといった頃でしょうか?
SNSももちろんありません。
なんでもネットにある、という状況では無かった頃の話です。
おそらく1998年頃ではなかったかと思います。
東京、新大久保の楽器屋さんに情報を求めに足を運びました。
何人かの先生がトランペットのレッスンを行っていることを知る中、T先生という方がこちらで教えていらっしゃる事を知りました。
その頃は、どんなレッスン内容なのかはHPなどもなく、とにかく一度体験レッスンを受けてみるしかないという状況でした。
T先生はその後、私が20年に渡り教えを乞う恩人となりました。
日時を予約し、初めての体験レッスンに行きました。
その頃の私のトランペットを吹ける状態は、まず真ん中のF(実音)をスムーズに鳴らすことも出来ないほど、アンブシュアが崩れていました。もう自らでは手の打ちようがないほどでした。
先生から最初に教えていただいたことは、「舌」の位置の話でした。
「舌」。。
私はそれまで、1ミリほども考えていなかったこの「舌」の位置が重要だという事実を知ることになりました。
これはすべての奏法の基本となるいわば「トランペットの基本姿勢」のようなものです。
立って吹く、座って吹く、そういったことではなく、「舌」という自分からも他人からも見えない場所に基本姿勢があることを知りました。
そして「息」をコントロールすること
トランペットをはじめ金管奏者が陥りがちな事として、口の周りの事ばかり気にしてしまう事です。
平たくいうと口元で吹こうとする音程を作ってしまう事なのです。
調子悪い、スランプだ、などと表現される状態の時、ほとんどがこの状態から抜け出せない場合が現実なのです。
ある音域は吹けるが、ある音域は鳴りにくい、またマウスピースを当てた感じがもうすでにしっくりこない、などはこの「息」についての意識を変えることで解決の方向に向かう事を知りました。
今私は、テキストでアンブシュアについて書くことに責任を感じながら書いています。
もしこの記事を読んで「誤解」が生まれてしまってはならないと思っています。
どこまで私のイメージで詳細に書くべきかという葛藤があります。
しかしながら、私と同じようにトランペットアンブシュアで苦しんでいる方がいる以上、正しく伝えられなければ、伝わらなければ、それは無責任な記事になってしまうと思っています。
私は、トランペットアンブシュアに責任もって、
苦しんだ私だからこそ、苦しんでいる方々を理解し、良い方向へ導いて差し上げられるのだと確信しています。
吹けるようになってきたら新しい作品を創りたいと思った
レッスンを始めてから少しずつ良い方向に向かってゆきました。しかし耐久力という意味ではとても前のようにステージで吹けるほどではありませんでした。
毎日毎日数時間の練習をした長い耐える日々が続きました。
1998年から2000年頃まででしょうか?
当然この間はライブ活動もほとんどできず、そしてレコーディングもお呼びいただけたものだけに集中して練習をしてこなしました。
それでもこの間に1作品、サイドミュージシャンとして参加しメジャーレーベルから全国発売に至ったCDもあります。
ベストではなくとも、少しずつ新しいフォームでの感覚を取り戻してゆくことは、先の見えない苦しい時ながらも、希望も少しずつ見えてくるものでした。
2000年からは本格的に自分のオリジナルCDを制作しようという気持ちにまでなりました。
そして作曲からアレンジ、トラック制作、演奏、レコーディング、ミックスダウンまですべてを自分1人で制作した初のリーダーアルバムCD作品を全国発売するまでに至りました。
全国のタワーレコードやHMVなど大手レコード販売店から注文が入りました。
渋谷タワーレコードでは視聴機に数か月にわたり私の作品を扱っていただきました。
そのアルバムがこちらです。
Nice Groove Fat Jazz / Gen Hosokawa
September Record & Impartment Inc. 2002 All Copyright by Music copyright center Inc.
現在もi tunesで手に入ります。CD盤も絶版にはなっていませんので取り寄せれば入手可能です。
アンブシュアを治す決意をしてから2年後に全国発売のCDを発売できるまでに至ったのです。
いまだから話しますが、もちろん自分の理想からはまだまだでありましたが、自分が出来る当時のベスト演奏であったことは付け加えておきます。
本気であればほぼすべてを失った0の状態からここまで出来るという事を証明したかったのです。
個体差を受け入れる事、そして解決には自分で努力するしかない
次回は、それでも上達が頭打ちになる、先生が教えてくれない(教えられない)部分があるという事。
それは個人で工夫をしなければ乗り越えられない部分が残る事、個体差、ここでいう個体差とは例えば、歯並び、体の大きさや自身で抱え込んでしまった癖、などを差します。
これだけ苦しんだ私だからこそ、その解決方法にはヒントがあるということについてお話しをしたいと思います。
続きは次回のブログで。
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